首長インタビュー

自治労連・地方自治問題研究機構 発行 「季刊・自治と分権」No59 より転載

「自由の風」吹かせ、市民が主役のまちに
安部三十郎さん(山形県米沢市長)

自治と分権 No.59
自治と分権 No.59(PDF)
●インタビュアー 島袋隆志(自治労連・地方自治問題研究機構主任研究員、沖縄大学准教授)

米沢と言えば、上杉の城下町です。なかでも、質素倹約と新産業育成政策によって日本一の貧乏藩だった米沢藩の藩政改革に成功した上杉鷹山が名君として有名です。藩校・興譲館を設立するなど教育にも力を注ぎました。鷹山の名言「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」はよく知られています。
今回は、鷹山の藩政改革にも倣いながら、市政改革に取り組んでいる米沢市長の安部三十郎さんにお話を聞きました。

 

草の根スタイル

まちづくりアンケートを手に市内3万戸を訪問

島袋--どの政党にも属さず、「市民派」選挙を闘われたとのことですが、そもそも市長選に立候補されたきっかけは何だったのでしょうか。
安部--東京の大学を出たあとしばらくしてから米沢へ戻り、29歳の時に地元のプラスチック成形会社に就職しました。41歳の時に会社を辞めて、翌年市長選挙に立候補しました。50歳の時に3回目の挑戦で当選し、今年が3期目の終わりで12年になります。
はじめは、「地元でがんばりたい、豊かな地域をつくりたい」という思いから市議会議員になろうと、サラリーマンをしながら地域おこし運動とかいろいろやっていました。そんななか、私の家のある集落は米沢駅から直線で2キロぐらい東に行った田園地帯の真ん中にあるポツンとしたところだったのですが、ある日突然、自宅の目の前の田んぼに工業高校が移転してくることになったのです。地権者も、夕方農作業から帰ってきたら、ニュースで自分の田んぼが映り、ここに「工業高校が移転」と聞いてびっくりしたとか、翌日の地元新聞を見て驚いたとか、みんなそんな話をしているという状況でした。そのあと、その隣に今度は企業団地を造るという噂があって、市議会で議員が「どのへんが予定地ですか」と質問しても、市当局はのらりくらりと返事をしない。一方、地元では、田んぼが高く売れると喜んだ大多数の人と、農業で食べていこうと思っている少数の人、そして私の家族のような自家米だけという人の間に、企業団地の造成に協力するかしないかをめぐって亀裂ができてしまいました。そうした結果、地域がギスギスし、いろいろと残念なことも起こってしまいました。
私は、住民にまったく知らせないで市の開発事業がどんどん進んでいく様を見て、これは何とかしなければだめだという危機感を持ちました。その危機感が大きかったから、もともとは市議会議員選挙に出るつもりでしたが、首長を代えないとダメだと思い市長選挙に立候補する決意へと変わりました。
でも、市政を変えなければいけないと思って立候補はしたものの、地盤も後ろ盾もありません。講演会組織の「夢のある米沢をみんなでつくる会」(略称;みんなの会)は私の友だちとか、その友だちというふうにして集まってきた人たちばかりで、みんな選挙の素人です。選挙の素人が自分たち自身で学習しながら選挙をし、支持者が支持者を増やしていって、その結果、3度目(2003年)に当選できたということだと思っています。
島袋--市長選挙に出るにあたって、市内全戸を自ら訪問してアンケート調査をされたとのことですが、どういう経緯ではじめたのですか。
安部--選挙の1年前に会社を辞めて、何をしていいかわからないまま、やたらに動き回って1年が過ぎました。そのあと冷静に考えてみて、米沢市民の家を1軒ずつまわることを決めました。そして、ある人に「1軒ずつまわることにしたんだ。どんなチラシをつくったらいいか、いま悩んでいる」と話したら、「チラシなんかつくらないで、まずみんなが何を考えているかを聞いてまわったほうがいい」とアドバイスをしてくれました。なるほどと思い、それで、市内の全戸、3万戸を訪問してまちづくりアンケート調査をすることにしたのです。
島袋--山形県内では珍しい「マニフェスト」を掲げたとのことですが、アンケート結果がマニフェストに反映されていったのですね。
安部--そうです。2回目のアンケート調査を終えてから、市民生活で困っていることや地方行政で最も取り組んでもらいたいこと、特徴的な自由意見をまとめ、「まちづくりアンケートハガキ結果報告」として配布しました。「みんなの会」の政策にも反映しています。
島袋--そのマニフェストは達成できていますか。
安部--ええ、マニフェストは毎回ほぼ達成しています。ただ、交通網の整備は1期目もやり残し、2期目もやり残して、3期目に入って昨年からデマンドタクシーの実証実験を始めました。ずっと忸怩たる思いがあったので、やっと着手できて少しホッとしています。また、紆余曲折を経ましたが、1階が市民ギャラリー、2階が図書館の新文化複合施設が今年12月完成予定で工事中です。中心市街地の活性化を図るとともに、教育・文化に力を注いで人を育てていきたいと思います。図書館の建設にあたっては、議会からは佐賀県の武雄市図書館を見ならってツタヤ方式にしたらどうかという声がたくさんありましたが、私はなんとなく直感的に「それは危ないのではないか」と思っていましたので、送っていただいた「武雄市『TSUTAYA図書館』の何が問題か」(『季刊・自治と分権』2014年秋号)を読んでよくわかりました。

市民が主役

1人ひとりが大切にされ、力を出し合うまちに

島袋--米沢市はこれまでどのような地域づくりを進めてこられたのでしょうか。また、今後どのようなまちづくりを進めていくお考えでしょうか。
安部--私が最初に掲げた市政のスローガンは「市民が主役」です。市民1人ひとりが大切にされ、それぞれがまちを良くするために力を出し合うようにしたいと思ったからです。
市民に積極的にまちづくりに関わってもらうため、「まちづくり人材養成講座」を開講して、私も講師を務めています。2010年からは、講座で学んだ人が米沢を活気のあるまちにするユニークなプランを競う場として「米沢まちづくりプラン大賞」コンペティションを開催しています。優勝提案には、総額100万円のなかから助成金を交付し、プラン実現に取り組んでもらうというものです。今年度の最優秀賞は、地元の舘山りんごを利用した焼き肉のタレを提案した方でした。
また、2013年度から3年間の予定で「輝くわがまち創造事業」を行っています。市内17地区にあるコミュニティセンター単位で、住民が主体となって地域づくり事業を実施し、補助金を交付する事業です。地域農産物を使ったコミセンレストランや農林業民具資料の整備、クマガイ草まつりなどで、地域の資源や特色を活かした事業が行われています。

有機EL

山形大学工学部の研究・開発に期待

安部--次に掲げたスローガンは「経済の豊かさと精神の豊かさが調和するまち」です。
米沢市は製造品出荷額等で県内1位、東北でも6位の産業集積都市です。かつては帝人もこのまちで生まれました。山形大学工学部の前身である米沢高等工業学校の秦逸三先生がわが国ではじめて化学繊維、人絹(レーヨン)をつくったのです。米沢市は、米沢八幡原中核工業団地と米沢オフィス・アルカディアを中心として、雇用の創出と地域経済活性化をめざして企業誘致活動を行っていますが、なかなか思うような成果が上がっていないのが実情です。
そんななかで、山形大学工学部を中心として産学官が連携した有機エレクトロニクス関連技術の研究開発が加速しています。2013年に山形大学工学部が米沢オフィス・アルカディアに有機エレクトロニクスイノベーションセンターを本格稼働し、有機EL照明の製品化が進んでいます。有機ELの光は自然光に近く、肌の色や化粧品本来の色がわかるといわれています。さらに、薄くて、軽く、使う場所を選ばないという特徴があります。蓄電デバイス、有機トランジスタや有機太陽電池の研究も進んでいます。山形大学工学部を中心に、そうした新しい技術を開発し、新たな雇用の創出につながるようみんなで期待をかけています。

なせばなる

自ら起業するチャレンジ精神を

安部--もう1つは子どもたちに都会の大きな会社に就職すればいいという「寄らば大樹の陰」ではなく、自ら大樹になる、つまり地元で自分の足で立って産業を興していく、そういう道もあるんだということをわかってもらいたいと思っています。それは自分が体験してきたことです。私が勤めていた地元のプラスチック成形会社は、戦後、肺結核がようやく治った30歳前後の若者3人で始めた小さな会社でした。1954(昭和29)年に射出成形機を1台買って会社をスタートし、途中で会社が射出成形機のコントロール装置の発明で特許を取ったりして、グッと伸びたのです。私が会社を辞めたときは創業40周年で、従業員260人の会社になっていました。3人で260人の雇用をつくったのです。そういうことから地域で起業していく道を訴えていきたいと思います。
米沢市のこれからの発展、地方創生というのは何ですかと言われれば、成功体験のある山形大学工学部から生まれた新産業の支援、それと市民が自ら起業していくというチャレンジ精神で地域の産業振興を図っていきたいと思います。
上杉鷹山の「なせばなる」の精神で、このまちでゼロからスタートするという価値観が、これから米沢が発展していくためにすごく大事だと思っています。自らこのまちの良さを感じて、ここでがんばってみようと、自ら選択する子どもたちをつくっていかなくてはならないというのが市長としての私の仕事なのです。
3番目に掲げたスローガンは「愛と義のまち」です。きちんと筋の通った道理が尊重され、みんなが助け合って暮らすまちにしたいと考えています。産業振興を図ることはもちろん、精神性の豊かなまちにしていきたいと思っています。

知恵を絞る

自治体が生き抜いていく道がまだある

島袋--市議会でTPP(環太平洋連携協定)参加に反対する意見書を採択されていますね。TPPについては、どのようにお考えですか。TPPに対抗するためにブランド化を図っていくという自治体もあるようですが。
安部--そもそもTPP自体が問題で、これをブランド化とか、差別化して、生き残っていくというような道よりも、世界経済のシステム自体を問題にしないといけないと思っています。攻めの農業とよくいいますが、私は国民1人ひとりの命を守っていくのが農業であって、他国と競争して勝ち抜いていくものではないと思います。何のために米を作っているのかというと、競争に勝ち抜いて我が家が生き抜いていくためではなくて、国民の皆さまの命を守っていく、健康を守っていく、そのために農業をしているのだと思うのです。
島袋--それはすばらしい考え方ですね。多くは、競争に勝たなければという考え方になりがちです。
安部--農家を競争に追い込んではいけないと思います。政治はどんな小さな政策でも必ずそこには為政者の理念が投影されますので、そういう意味では攻めの農業といっていること自体が、為政者の芳しくない理念、哲学が投影されていると思います。
どこまで自治体農政をやっているか、成果をあげているかと言われれば、それは忸怩たる思いがありますが、農政についてどういう考えでいるのですかと問われれば、胸を張ってそういう考えでいますと答えます。いつかそういう考えで農政が成り立つような政治を実現させなくてはというふうに思っています。
島袋--農政は1つの自治体だけで取り組むのはむずかしいこともあると思います。
安部--私も以前はそういうふうに思っていました。そもそも農政は、国の大政策が変わらないと厳しい。そういうなかでも自治体でもやれることをやろうという考えでいたわけですが、やれることをやろうという点で、自分たちはどれだけ知恵を絞ったかと考えてみると、知恵の絞り方が足りなかったなと思うようになりました。ですから、国の農政の大転換を求めていくとともに、自治体で知恵を絞って生き抜いていく道がまだまだあるにちがいないという思いは強くなってきました。
新潟県の南魚沼市は初代米沢藩主上杉景勝の生まれ故郷で、その関係で米沢と歴史親善友好都市になっています。南魚沼市で「雪国マンゴー」を作っている方がいて視察に行きました。視察に行く前は「重油を焚いてつくるのでは採算が合うわけない」と思っていました。ところが行ってみると、そこは地下水とか、温泉とかを掘削する小さい会社で、社長が庭先に温泉を掘り当てたのです。その熱を利用したハウスを建ててマンゴーを作っているので、重油は一切焚いていないのだそうです。
実は米沢でもハウスいちごを年中栽培している方がいることをつい最近知りました。地下水が豊富に出るところで、地下水を使ってハウスいちごを作っているのです。南魚沼でマンゴーに取り組んだ方と同じぐらいの時期に始めたそうです。そういう方もいるのです。ですから、自治体農政でもまだやれる余地があって、どれだけ知恵を絞ったかと考えたときに、知恵の絞り方の足りなかったところを反省しているということです。

伝統産業

鷹山の時代から続く米沢織、「うこぎ」などの普及

島袋--米沢には米沢織をはじめさまざまな伝統産業や伝統野菜がありますが、どのような施策をされていますか。
安部--今日は、上杉鷹山の時代に始めた伝統産業である米沢織を少しPRさせてもらおうと思って、米沢織の羽織、袴でやってまいりました。年間50回ほどは米沢織の着物を着ています。ちなみに、日本で生産される袴の9割は米沢産です。米沢市は米沢織の新商品開発、人材育成、販路拡大などを目的として「米沢織物産地振興対策事業費補助金」を設けています。
米沢には、「うこぎ」や雪菜等の伝統野菜がありますが、これらについてもPR活動を行うなど伝統野菜の普及促進活動にも力を入れています。
また、米沢市のある置賜地方は、秋に収穫した野菜を雪の中に貯蔵する「囲い野菜」を伝統的に行ってきました。雪の中では長期間保存できるだけではなく、野菜の甘みが増します。現在では、寒中キャベツ、寒中白菜、寒中ねぎとして、県内だけではなく首都圏にも出荷されており、若い農業者を中心に栽培が増えつつあります。米沢市も「冬の味めぐりツアー」や「米沢の冬野菜を味わう夕べ」など寒中野菜のPR活動を行っています。
毎年、米沢に立地している企業の東京本社の社長や、こちらから「米沢にどうですか」とセールスしている会社の経営者の方々が集まって、東京のホテルで立地セミナーという講演会と顔合わせ会をやっております。そのときに、啓翁桜を会場にいっぱい飾ってお客様に帰りにお持ち帰りいただきます。そのうちのお一人が行きつけの横浜のフランス料理店にお土産に渡されたのです。すると、その料理店のオーナーが啓翁桜を好きになって、自分の所属しているライオンズクラブで横浜の大通り公園に植えてくださいました。その感謝の意味で一昨年からライオンズクラブの方々をお招きして中華街で花見の会を始めました。それがきっかけで、横浜の経済界と交流がはじまったところ、米沢特産の「うこぎ」とか、ワインとかのお取引の話がいろいろ来るようになりました。企業誘致のためにやっているセミナーで、米沢の農業やあるいは加工品であるワインなどへと話が広がっていますが、そういうこと1つをとってみても、農工商連携というのが大事で、取り組んでいかなければいけない課題だと思っています。

平和リーダー育成

毎年、中学生を広島、長崎、沖縄へ派遣

島袋--平和教育への取り組みを聞かせてください。
安部--米沢市は戦没者慰霊と世界の恒久平和を願う「上杉雪灯篭まつり」を毎年2月に開催しており、今年で38回になります。松が岬公園一帯を主会場に約300基の雪灯篭と、3000個の雪ぼんぼりにろうそくが灯されます。お祭りのオープニングは雪で大きな鎮魂の塔をつくり、戦没者の慰霊を行っています。
そのときに併せて、3年前から首長講演会を開いています。米沢市は沖縄市と姉妹都市なので、沖縄市長もお祭りに来賓として来られます。雪灯篭まつりのコンセプトと東門美津子沖縄前市長もおいでになるというこの2つから「せっかくだから平和講演会をお願いしたらどうか」と思って開催したわけですが、非常に好評でした。それで、雪灯篭まつりの協賛事業として毎年、「平和のつどい」を開催しています。一昨年は福島県飯舘村の菅野典雄村長、昨年が長崎市の田上富久市長、そして今年は長野県松本市の菅谷昭市長に「今こそ『平和の連鎖』の努力を!」と題して講演していただきます。
島袋--米沢市は平和都市宣言をされていますね。行政として発信していることがあればお聞かせください。
安部--米沢市は1988年3月に平和都市宣言を行いました。それ以降、「戦争と平和展」や平和事業を決定する「中学生議会」の開催などを行ってきました。2010年度からは平和都市宣言事業の取り組みとして、次代を担う中学生たちに、体験によって戦争の悲惨さや核兵器の恐ろしさを学んでもらい、平和の尊さ、大切さを肌で感じてもらうために、中学生を毎年1都市、広島市、長崎市、沖縄市の順に派遣しています。市内に8つある中学校から1人ずつ代表者が派遣され、その体験や感じたことを学校での全校集会で報告してもらいます。こうした活動を通し、平和活動を推進するリーダーになってもらいたいと思っています。子どもたちにとっては、例えば1年のときは先輩が広島へ行ってきた話を聞いた。2年になったら3年生が長崎に行った話を聞いた。3年になったら同級生が沖縄の話をしたという、3年間で3人の話を聞けるというふうになっています。

山形県首長九条の会

住民の平和な暮らしを守る

島袋--平和に関するリーダー研修みたいなかたちですね。2014年4月に結成した「山形県首長九条の会」の代表になられていますが、どのような思いでされているのですか。
安部--地方自治体の仕事、地方自治体の首長の責務として平和な社会づくり、あるいは住民の平和な暮らしを守っていく、そういう役割があると思っています。宮城県の「首長九条の会」の方々から働きかけがあって賛同し、2012年5月に福島県で行われた「憲法九条を守る東北地区市町村長の会交流会」に参加しました。その後、山形県首長九条の会準備会を経て、2014年5月12日に「山形県首長九条の会」が発足し、私が代表を務めています。山形県に首長九条の会ができたことで、5月16日に秋田市で「東北六県市町村長九条の会連合」が発足し、「絶対に戦争への道は許さない!」アピールを決議しました。
島袋--安倍政権が憲法を変えるという動きの中で、私たちも大変危惧していますが、それに対抗できるものの1つとして「首長九条の会」があると思います。
安部--本来、国会議員がもっと声高に声をあげないといけないと思いますが、そうはなっていません。もちろん、国会議員だけではなくて、首長も声をあげていかなければいけないと思っています。米沢市内に弁護士が9人いますが、昨年、この9人の弁護士全員と私と10人で「憲法のつどい実行委員会」をつくりました。市民に憲法の大事さをわかってもらいたいという趣旨で、毎年「憲法のつどい」をやろうと、昨年は第1回で、樋口陽一先生の講演会「憲法の『うまれ』と『はたらき』」を開催しました。
島袋--近頃、憲法を考える集会に公の施設を使わせないとか、市民が主催する集会に従来は市が後援していたのに後援をしないとか、あるいは9条を詠んだ俳句を広報に載せないとかの動きがありますが、米沢市ではどういう取り扱いをされていますか。
安部--そういうふうにすべきだとは全く思っていません。憲法が保障する集会、表現の自由は、地方自治体も守っていかなくてはならないと考えています。
島袋--3.11東日本大震災で原発事故が起こったことによって、原発ゼロを求める運動と核兵器廃絶の運動が結びついていろいろな運動が起こっています。それに対しても市長さんは発言をされていますね。
安部--平和首長会議が広島で開催されたときに参加して発言したわけですが、原爆と原発は必ずしもイコールではありませんが、人間が制御できない原子力というものが根底にあります。核兵器廃絶を実現していかなければいけないと思います。
米沢市には、原発事故避難者の方がいちばん多いときで3895人避難されていました。大半は福島県からの避難者です。今でも避難者の方が1108人おります。みなさんの多くは放射能の心配から避難をされています。米沢市は避難者の方の援護を今でもやっていますので、そういう立場からも原発はよくないと思っています。原発再稼働といいますが、福島原発みたいなことが起こったら誰が責任をとるのかという話になってきます。福島の方には申し訳ないのですが、放射性物質は福島県と山形県との境にある吾妻連峰を越えられなくて、米沢市はほとんど汚染されませんでした。しかし、それでも風評被害は激しくて、観光とか、農産物の農業被害も大きかったです。

中学校給食

実現には現場の調理師が後押し

島袋--市職員や、労働組合に対して、その役割について、どのようにお考えですか。また期待することはどんなことでしょうか。率直なお気持ちをお聞かせください。
安部--労働者の権利は大事ですから、労働組合は大事だと思っています。市役所の職員、公務員として、自分たちの生活を守っていくというだけではなく、全体の奉仕者として市民に対してどういうように尽くしていけるのか、そういうことの研鑽も期待したいと思います。
米沢市では中学校給食への市民の要望が強く、私のマニフェストにも入れたのですが、7年前の2008年から始まりました。一斉に始まったわけではなくて、準備のできたところから、小学校で調理した給食を中学校に運ぶ「親子方式」の中学校給食が始まったのですが、実施にあたっては、行政内部でも議会でも、自校給食ではなくセンター方式にしろという議論も強くありました。私は市民の要望が強い自校給食を実施したいという考えでした。事務方のほうでは給食室の広さなど基準の問題があって話がなかなか進まない。そんなときに、「私たちはできます。現場の私たちができると言っているからやりましょうよ」と、私をいちばん後押ししてくれたのが小学校給食の調理師の方々だったのです。それで、ようやく中学校給食が始まったということがありました。
また、4年前の2011年には、3.11東日本大震災が起きて3日ぐらいで、県外からどんどん避難者が来られたので、体育館とか、となりの武道場、文化センターを避難所として立ち上げたのです。そうしたら、すかさず退職された調理師の方々が体育館の調理室に自主的に来て、采配を振るってくれました。「食中毒が出るのがいちばん怖かった。だから専門家でない人が調理室に入ったら大変なことになる」と思って、ボランティアで駆けつけたのだそうです。たくさん来る救援物資の食品を放置して腐らせないよう、調理師OGの方々が指図し、炊き出しメニューもつくっていました。私が行ったときは、別室でボランティアの高校生がリンゴを小さく切っていました。「どうしてこんなに小さく切っているのですか」と聞いたら、「調理師の方から子どもさんとお年寄りのために小さく切ってくれと言われた」とのことでした。手の足りないところは自分たちの同僚とか、現職の学校調理師とかを呼んでやっていただいた。労働組合の委員長も食材をかかえて運んできて作業員として調理師さんたちに指示され働いていました。
島袋--中学校給食の実現には給食調理師の力が大きかったのですね。調理部分だけを民間委託する自治体もありますが、すべて直雇用でされているのですか。
安部--今のところはそうなのです。ただこれを今後はどうするかというのが今、問題になっていて、私としては、センター方式にはしたくない、株式会社にお預けをするようなことはなんとか避けたいと思っています。ただ、正職員、嘱託職員、臨時職員という現在の構成でずっとやっていけるかというとそれも難しく、頭を悩ませているところです。ただ、4月から給食調理師を補充することにはなっています。

一人ひとりが政策を生み出す

組織内の自由な雰囲気を大切にしたい

島袋--最後に職員さんへの期待とかメッセージがあればお願いします。
安部--職員の方には3つのことを期待しています。1つ目は市民の立場にたって仕事をする、2つ目に職員一人ひとりが政策を生み出す、3つ目に市民との協働を推進する。
私が市長になって初登庁したときに、「自由の風」と染め抜いた旗を風呂敷に包んで持ってきて、市役所の玄関で出迎えてくれた職員たちに見せて、それ以来ずっと秘書室の入り口に飾ってあります。これは、上から言われて仕事をするのではなく、自分で考えて仕事をする。上の顔色をうかがうのではなく、人間としての良心、自分の心のいちばん奥底の声に従って仕事をしていく。そのために、組織内には自由な雰囲気がすごく大事だと思っているからです。そういう雰囲気のある組織でありたいと思っています。
島袋--3期目で、市役所内の雰囲気は変わりましたか。
安部--変わってきたと思います。米沢市には公立の保育園が3つあって、あとは民間の保育園ばかりだったのですが、私が市長になる前のことですけれども、老朽化している1つの市立保育園を廃止して、民間が新しい保育園を建てるときに補助をして定員を増やしてもらい、廃園する園を吸収してもらうという計画がありました。私が市長になって、この保育園の卒園者や保護者、市の保育士の方々から「廃止するな」という要望がありましたが、結局、廃止になりました。市長ミーティングのときに、保育士から、廃止する前は「1園の廃止反対」、廃止になってからは「残り2園をどうするのか」ということを必ず聞かれました。私はそのたびに「公立の保育園でなければ絶対にできないという存在意義があれば廃止ということにはならない。廃止が先にありきではない。どうしたら自分たちは民間ではできない、公立だからこそ引き受けることのできる、そういう保育園をつくれるかという提案をしてもらえませんか」と答えていました。
そうしたら昨年のミーティングで「保育士は生まれた子どもをお預かりする仕事だけれども、その前にどうしたら子どもがたくさん生まれるか。少子化対策をやってみたい。市には市立病院もあるし、健康課もあるし、子ども課もあるし、総合政策課もある。なんでもあるのだからそういうところと一緒になって現場の私たちが考えれば、いい政策ができるにちがいない」ということを発言した保育士がいて、感動しました。単に「反対」から、自分で政策を考えるまでに変わってきたと思います。自分たちで政策を考えるということが弱いので、だから要望としてあげてきていたわけですが、とうとう自分たちで政策を考えるということが出始めました。これは明るい希望というふうにとらえています。
島袋--きょうはありがとうございました。

自治労連・地方自治問題研究機構 発行 「季刊・自治と分権」No59 より転載

自治と分権 No.59(PDF)